2014年8月7日木曜日

2014/8/7 Tマイソール

一週間の練習は金曜までなので、木曜が山場ですw

朝起きるのもけっこう辛い。
それなのに寝坊せずに起きれるのは、「雨だろうと嵐だろうと(それはたとえだけど)どんなときにもマットに立つ」ということが頭にあるから。
行くか行かないかは考えないようにしている。
なにがあろうともまずはとにかく行く。それだけは決まっていることである、ということにしている。

アシュタンガはとてもスピリチュアルなヨガなのに、とかくフィジカルな面が前面に出やすく、身体的に優れている、向いている人がクローズアップされやすい。
元々ダンスやってたとか、新体操やってたとかの人も多い。
それは誤解されている一面なので、そこに目を向けなくてもいいんだけど、やっぱりなんだかんだ正直言うと、できないことよりもできることがあるほうが楽しい。
だけど昔から自分が決して器用ではないことを把握しているので、何事もちゃちゃっとできないのはわかっているからこそ、毎日練習に行く。
毎日練習に行くことは器用な人でも不器用な人でも関係がない。
まずは自分にできることからやる。
柔軟性や筋力や若さではかなり遅れを取ってるけど、地道に続けるとかしつこく研究するとかでは負けてないと自負してる←誰に勝ち負けなんだww

ま、そんな風に自分に言聞かせたくなるときもあるわけで。


今日、私がケガする前のころにはまだドロップバックとかを練習していなかったような人(たぶん)が隣でめちゃ柔らかく後屈してて手足がすごく近づいていたのを見てしまったから。
もちろん若いし。
他人をうらやんだところで、私が変わるわけでもないし、私には私のペースでしか進めないのだからしょうがないのに、ちょっと羨ましくなってしまったのだ。
そんな私みたいな人は他にもいるみたいで、以前のカンファレンスの記事でシャラート先生にそんな質問をしてるひとがいた。
シャラート先生の答えは明確かつシンプル。
「自分より柔らかい人は見ないように」

そりゃそーだ!!
見てもしょうがないのに、見たところでどうなるというのだ。

いつもこのシャラート先生の言葉を頭で反復させている。

ヨガ以外でもそうだよね。
自分よりも優れている人を見て羨んでもそこから何も生まれない。
他人にはなれない。自分は自分の道でいくしかない。


アシュタンガを始めたことで、一番自分に大きかったことは、自分は自分でいいんだと知ったこと。
ずっと今の自分では足りなくてもっと何かを目指さなくてはいけないと思い込んでいて、何かを成し遂げなきゃいけないのに、できない自分に焦ってた。
何をやっても満足感がなかった。

でもマットに立つようになって、これでいいんだと思えるようになった。
何かを成し遂げた私かどうかなんて、マットの上では関係ない。
私は私でしかない。
今を生きるしかない。
今のままの自分だっていいんじゃないかなって。
ヨガで会う人たちは、私が何をやっている人なのかどんな学校を出て何の仕事をしてるかなんて知らなくても、笑顔でおはようって言ってくれる。
私を評価しない人たち。
それが心地よい。

今ここに存在している単なる私と接してくれる。


今日はそんなことをまた考えました。








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